五福町は大きな町ではないが、住み易い町である。
山に囲まれた田畑の広がる土地で人々はのんびりと心豊かに暮らしている。
今は実りの秋。
田では朝日を受けて山吹色に彩付いた稲が重そうに頭を垂れている。
五福町の朝は町内有線からの穏やかな女性の声で始まる。
『おはようございます。○月○日○曜日、六時です。本日の催し物から、お伝えします。町内の皆様にお知らせします。本日、午後1時より役場において、〜を催します。尚、御車は御遠慮下さい。皆様、お誘い合わせての御来場をお待ち致しております。続きまして、町内の老人会の皆様にお知らせします。本日、午後三時より〜を行います。〜〜〜』
有線放送は挨拶に始まり、その日の催し物の内容と時間のほかに、農作物の出荷品名及び各人の出荷日、出荷時間を告げ、最後に依頼のあった事柄を放送する。それは日によって異なるが、商店などの特売の日や商品、価格や特典、断水や停電のお知らせ、学校からの連絡(天災による休校、学校行事で町外へ出ている学生の様子など)が伝えられる。
この長閑な田舎町に二つの組織が存在する。
古式豊かな儀礼 祭典 習慣が、未だ数多く残っているこの五福町で、日本文化を壊滅しようと、日々、活動している集団がある。
それが、組織名*秘密結社BLACK・SHIP 一つ目の組織である。
金髪の髪に純白のロングドレス、白い手袋と白い羽扇、そして白い靴。
奇々怪々な衣装を纏った少女が、薄暗い通路を靴音も高らかに、進んできた。
「フローレンス様お帰りなさいませ。本日のJr.ハイスクールは如何でしたでしょうか」
このフローレンスと呼ばれた少女こそがBLACK・SHIPの総統である。
「エドワード、アルバートは何処かしら?」
「あちらに・・・」
黒1色の男達の中で、ネクタイだけが白い男がいる。
この男はフローレンスのお気に入りで、名前を世波という。
フローレンスの配下の者は全員、日本名でない名前が付いている。
フローレンスに名を与えられて初めて組織の一員とみなされる。
低頭姿勢で出迎えるアルバートと呼ばれた男を羽扇で人指ながら、朗とした声で少女が言う。
「アルバート、月見と云うふざけた行事をなくしておしまいなさい。本日中に。・・・計画をお立てなさい」
「畏まりました」
会話の合間を見計らい黒服の男が申し出る。
「フローレンス様。お茶の用意が整いました」
時間は、遡る。
フローレンスこと山田イネの通う五福町立五福中学校は1学年1学級。
その上、小学校と同じ敷地内にある。
山田家は、五福町一の名家で、由緒正しい御家柄。
五福町の主な産業は当然の事ながら、農業であるが、その田畑の所有数も五福町一である。この事から、町内で催される儀式 祭礼は総て山田家が取り仕切る事が決まりとなっている。
綿々と続いてきた山田家には、決して覆される事のない先祖伝来の慣習がある。それは、家業である農業の豊作を祈り、子々孫々、田畑に関する名が与えられる。山田家 第十八代当主 豊穣の長女イネも亦、然り。因みに長男の名は豊作である。
イネは自分の名前が嫌いだった。
イネは小学校に入学してから−−−否−−−誕生し物心ついた時から、その名前の為、からかわれ続けてきた。
だからと云って慣れるものではない。
日本色豊かな家中とイネという名前。
そのトラウマが生んだのが、行き過ぎた西洋文化塗れのフローレンスである。
そして、今日も−−−−−
五福町立五福中学校1年1組の今日の四限目は家庭科だった。
調理実習。メニューは月見団子と−−−−−と−−−−−
出来上がった団子等を盛りつけている時に、それは起こった。
男子生徒がイネを呼んだ。
「お〜い、山田〜。ちょっと、きてくれ」
こういう時は碌な事がない。
「そこに立っててくれ」
「何よ」
「いいから、ちょっとだけ」
「先生、出来ました」
「あら、御飾りの薄がありませんね?」
「ハイ、ススキがないのでイネを飾りました」
ブチッ
イネのこめかみ辺りで、何かがキレる音がした。
「え〜い、思い出しても腹の立つ」
美しい純白の羽扇を千切り、散らかしながら、赤絨毯の上をグルグルと歩く、イネ−−否、フローレンス。
「それも、これも、この世に月見なんて、ふざけた風習があるからですわ」
腸煮え滾る程憤ったイネは、月見撲滅を心に決めたのでした。
フローレンスがフランソワーズ・ボレージュ(洋梨のタルトレット)とアロマフレージュのファインダージリンを頂いている頃、月見撲滅計画を任されたアルバートは、本家の電話でコレクトコール。−−−国際電話の真っ最中。
「はい。計画は順調に進んでおります。この一年度重なる嫌がらせ、あの老い耄れ夫婦が家を移るのは必至。今、暫くの事と思います」
と、ドイツ語で喋っていると思って下さい。
ところでこの男。−−−何やら、怪しげ−−−
本筋とはあまり関係のない事ですが、少しだけ御教えしましょう。
この男、アルバートは本名をヨハン・龍・リヒャルトと云う日系ドイツ人で、山田家では世波龍と名乗っている。
龍はナチス残党の子や孫に組織された『フォルコメンハイト』のメンバーで、その昔この五福町に隠れ住んでいたと思われる旧ドイツ軍ナチス親衛隊隊員の遺産を探しているのだ。
現在の与作の家に住んでいたと思われる”彼”はとっくに亡くなっている。
遺産は与作の家の下ではないかと推測される。
与作夫婦は”彼”が亡くなった後、のんびりとした老後を送る為に都会から山と田畑に囲まれたこの五福町に引っ越してきていた。
その為、龍は与作達の立ち退きを画策していた。
高々遺産獲得の為に、こんな回りくどい事(フローレンスの扇動)をしている龍を派遣する辺り、その残党組織も高が知れているが−−−そんな事は放っておいて本筋は進んでいく。
電話を終えた世波龍ことアルバートは、フローレンス様の御命令の準備に取り掛かった。
狙う相手は決まっているので、尤らしい理由を付ける。
そして、挑戦状を製作する。
続いて、行うコレが、最重要課題。
フローレンスに仕える者は面が割れているので素顔を隠す必要があるのだ。
(尤も、フローレンスの配下に限らず、町民全員が顔見知りなのだが・・・)
アルバートはコレのエキスパートなのだ。
コレとは魔術の学問で、錬金術と云う。
−−−「錬金術」−−−
一般には、通常の金属を黄金に変える学問として知られている。
然し、錬金術という学問には計り知れない深さがある。
龍(アルバート)の家系は、錬金術の研究を遥か昔より続けてきたのである。
その学問の過程で発見された「人工の生命」を生み出す方法で、究極の戦闘生物「ホムンクルス」と云うモノを造り出す事が出来る。
この方法にアルバートの一族に伝わる応用を加えると、現実に存在する人間を身体的、精神的にも何の支障もなく、他の生物に変身させる事が出来る。
ブラック・シップのシークレット・ベースにアルバート専用の部屋が与えられている。そこには、ありとあらゆる装置、薬品が揃えられている。
それらを使えば、ソレは1時間もあれば造れるのだ。
アルバートは薬品を調合して装置にかけた。
後は機械が自動で進めてくれる。
豪奢なシャンデリアが部屋の隅々まで、余す処なく照らし出す。
ふさふさと毛の深い深紅の絨毯の上に重厚な樫のテーブル、猫脚の肱掛椅子。白に統一された衣装に身を包んだフローレンスがゆったりと寛いでいる。
その周りで、甲斐甲斐しく働いている黒服の男達。
「フローレンス様」
「アルバート。準備はよろしくて・・?」
「はい」
恭しく一枚の紙を差し出す。
「長屋の与作さんの奥さんが、手作りの月見団子を用意したという情報がありました」
「よろしい。では手始めに、その月見団子を抹消なさい」
「はい」
フローレンスは黒服にティ・カップを渡すと椅子から立ち上がった。
「出かけます」
「はっ」
太い男の声が一斉に響く。
高らかな靴音に規則正しい靴音が続く。
その中、バタバタと規律を乱す足音が追い掛けてくる。
「イネ様。挑戦状をお忘れに〜」
キッと、振り返ったフローレンスのこめかみには青筋が浮いている。
小さくなっているその黒服を見下し、睨み付けた。
「お前はクビッ!」
と、一声。フローレンスは踵を返し、歩き出す。
「イネさま・・・じゃない・・・フローレンス様」
周りの黒服より若干、若いと見える男は、ふるえる声で縋る。
が−−−当のフローレンスは、にべもなかった。
「今更、遅い」
鋭い、一喝が返ってくる。
「フローレンス様。もう間違いません。御慈悲を〜〜」
フローレンスはもう振り返らない。
後に続く男達が肩を叩き、一言づつ声を掛ける。
「ルーキー。運が悪かったな」
「諦めろ」
「また、明日があるさ」
「明日はきっと明るいと思うぞ」
「全然明るくない。これから僕はどうしたら良いんだろう」
ルーキー(新入り)は、まるで悲劇のヒロイン
「ルーキー、爺や・・・あっ−−−−−」
「大丈夫だ、カーチス。フローレンス様はもう外だ」
「爺やさんに頼んで、旦那様か豊作様付きにして貰え」
「はい」
「ルーキー、お前は幸せだ」
「−−−キース・・?・・・」
「そうだ。ここから抜け出せるんだからな。それも入って1ヶ月の内にだ」
「−−クリスチャン・・・」
「良かったな。進んでフローレンス様に仕えているのはアルバートだけだ」
「ケネス・・!」
図体のデカイ男達が相向い、影を落とし憐れみ合う。
むさくるしい事、この上なかった。
「何をしている。早くしろ。フローレンス様がお待ち兼ねだ」
「今、行く。アルバート」
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