HEARTのThief〜theft1−7〜

HEARTのThief〜theft1−7〜


『今宵貴方のハートをいただきに参上致します
                   Angel Thief』

「アンジェリーク」
 橙のリボンの少女は容れられた紅茶にレモンを浮かべながら、アンズはそう答えた。『名前は?』と問われて。
「ふぅん。『天使』という意味だね」
 クスッと口元に笑みを浮かべ、瑠璃色の髪の青年は頬にかかったそれを細いその指で払いのける。指先まで整い、無造作に払う仕草も何処か艶やかな印象がある。
「うん、似合ってる」
「・・・・・」
 狼狽いのない素直な賞賛に、彼女は頬を赤らめて俯き、唇を噛んだ。
「どうかした?」
 群青の瞳が瞬く。探るように感じたのは、後ろめたさのせいか?
「別に、何でもないよ。で、私はどうすればいいの?」
「ん。そうだな、まずはこれに着替えて。隣が空いているから、どうぞ」
 差し出されたヒラヒラとした白いそれに視線を向け、『本気?』と問うような目で彼女は青年を見上げる。
「・・・・・」
 あくまで優雅に微笑んでいるが、白い布を差し出してからも特に変化のない瞳が冗談ではないことを雄弁に語っていた。
『やっぱり、止めとけばよかったかしら?』
 柔らかな触りもいいその衣装を手に、彼女は本気で後悔し始めていた。

 フワフワと柔らかな白い服に着替えて、恨めしそうにアンズはセイランを睨む。
「コレ、恥ずかしいんだけど」
 首から肩にかけてが可成露出するそれが嫌で制服の羽織っていた薄手の上着を肩にかけて現れた少女に、瑠璃の芸術家が優美な眉をしかめた。
「それ外して」
「だから、恥ずかしいのよ」
 勝ち気な眼差しで冷たい群青の眼差しを受け止める。

しばしの沈黙と交わされる眼差し

 折れたのは青年の方だった。
「仕方がないな」
 そんなことを呟きながら薄いブルーのオーガンジーを取り出し、深い深い蒼い石の嵌められたピンも手に少女に近づく。
「動くと刺さるよ」
 物騒な言葉で少女の動きを制し、彼は上着を落として晒された白い肩を薄いブルーの霞で覆うと、残った布の流れ具合を確かめながら慎重にピンでそれを止めた。
「マシだろう?」
「・・・・・マシなだけよね」
 それでも不満そうに、今は《アンジェリーク》と名乗る少女は示された椅子に座りながらぼやいた。

「ねぇ、何かあったの?」
 何時ものように画布の準備を済ませた状態で待っていた青年は、不思議そうな表情でアトリエとして使っている部屋に入ってきた少女の言葉に軽く首を傾げる。
「何か、あっちの人達がすっごく慌ててるみたいだけど?」
「?・・・・・あぁ、そう言えば、『怪盗Angel Thief』、だったかな?からカードが届いたらしい」
 何でもないことのようにそう言い、彼は何時ものように衣装を手渡す。
「この個展に置いてあるやつの一つを盗りに来るんだってさ。今は僕の手を離れたやつだけど。『青い月』ってやつ」
 淡々とした口調に、アンズは首を傾げる。
「何か、凄くあっさりしてるけど、盗られても、いいの?」
「僕の関心はそこにはない」
 サラリと言い切り、『早く着替えておいで』と、隣室を示した。

 チョコンと椅子に腰掛け、青翠の瞳を群青の瞳に向ける。群青の瞳が時折それを確かめるように上げられ、微かに何かの感情の波に揺られながら画布に戻される。
 ただ、その繰り返し。

「・・・・・時間がきたか」
 低く響く時計の音に視線を向け、ため息を誘われながら彼が筆を置くのと、
 『パタン』
「早い」
 少女が着替えに隣接する部屋に入った音は、ほとんどかわらなかった。

 栗色の髪に橙のリボンをつけながら戻ると、苦笑しているセイランが映った。
「何?」
「いや、そんなに嫌なのかと、思ってね」
「いっぺん自分も同じ立場に立てば?」
「ヤだね」
「なら分かってよ」
 ポンポンと言い合いながら置いておいた鞄に手をかけ、何時ものように手がドアに向かう。時間は女の子が一人で出歩くには多少遅い時間であるので、後ろを振り返る素振りのかけらもなくスタスタと歩を進める。
「待って」
 そっとノブに乗せられた手に、細いが少女のそれよりもずっと大きな手が重なる。
「何?」
 キョンとした顔で少女は後ろを振り仰ぐ。
「どうし」

時が、止まった気がした・・・・・

「ん、んん」
 息苦しさに腕を払うと、暖かさが遠のいた。
「・・・・・何、すんのよっ」
 振り上げた手に勢いを乗せて叩き付ける。
「っ」
 痛みに眉を歪め、だが群青の眼差しだけは変わらず眼前の少女を見据えていた。
「何のつもりよっ!?」
 怒りに瞳を輝かせ、両手に鞄を握り締めて殴る準備はすっかり整えている少女の怒鳴り声に、彼はフワリと首を微かに傾けて静かな声で囁いた。

「もう少しで、個展も終わる。そうしたら、一緒に、行かない?」

「何、言って」
「簡単なことさ。ずっと一緒にいようってこと」

 ガタンと両手に握り締めていた筈の鞄が床と大きな音を立てる。
「《アンジェリーク》」
 耳元で囁かれた名前
「・・・・・うっ」
 泣きそうな瞳でそう言うと華奢な腕で青年の腕から逃れ、一度落とした鞄に躓きそうになりながらもそれを拾いあげると、後ろも振り返らずに《アンズ》は走り逃げた。
「《アンジェリーク》!」


To be continued