『ごめんね』

 どうして謝るの?

『だって、迷惑をかけてしまったもの』

 迷惑ではないわ。

『それでも・・・私の我が侭に付き合わせてしまうわ』

 いいえ。これは私達も願ったこと。

『・・・お願いを聞いてくれる?』

 最愛の貴女の願いならば。



紛れ込んだ泡沫の世界
第七章〜優しき歌声〜




 体の端々の痛みに意識が次第に覚醒へと向かう。
「・・・・・う・・・・・」
 ゆっくりと瞼を押し上げ、ぼやける視界をクリアにしようとは何度か瞬きを繰り返した。
「気が付いたか」
「!?」
 気が緩んでいたとはいえ、側近くにいた人の気配に気づかなかったことに瞬間的に飛び起き、その場から飛び離れる。飛び離れた瞬間、全身に痛みが走るが気合で押さえ込むと目の前の人物に警戒心に満ちた視線を向けた。
 紅茶色の髪と瞳を持つ落ち着いた雰囲気の男性。鎧と兜を脱いでいるが、目の前にいる男性が誰なのかには分かった。
「あまり動くな。傷自体はさほど深くはないが、数が多い。大人しくしているといい」
 武器を付き合わせていないからか、彼の声は深く落ち着いている。その声の中に、そして兜を脱いで露わにした瞳の中に、悲哀の色をは感じ取った。
 警戒心を薄れさせることなく、飛び離れたその場所から動こうともしないに彼は僅かな苦笑を浮かべる。の容姿が容姿であるからか、彼女のその様子は野生の小動物が人間を警戒している姿を連想させた。

(・・・いや、あながち間違ってもいない、か)

 彼女にとってここは敵陣であり、目の前にはその敵の総大将。聡明そうな澄んだ栗色の瞳を見れば、その事実をカンづいているらしい。警戒するなというのが無理なのであろう。
「ここはデグレア特務部隊『黒の旅団』駐屯地だ。人質として捕らえたお前にこんなことを言っても信じられないかも知れないが、必要以上の危害は加えぬ。総指揮官たる俺の・・・ルヴァイドの名に掛けて誓う」
「・・・分かりました」
 全身に纏っていた警戒が消え、穏やかな表情になったが静かに頷いた。
「一つだけ、質問をさせてください。私と一緒に捕らえられた彼女はどこにいるのですか?」
「黒髪の少女の事か。あの少女ならばイオス・・・部下のところにいる。肩の怪我は治療しているから心配するな。お前と同じく、危害を加えぬ事を約束する」
「そう、ですか・・・」
 内心、とても心配していたのだろう。ほっ、と吐息をつき、柔らかい表情を浮かべる姿はとても昨夜、激しい攻撃を仕掛けてきた者とは思えない。だが、それ以上にあっさりと自分を信用した事が不思議だった。
「・・・何故、そんなにあっさりと信用する?」
「総指揮官である貴方が、自分の名に掛けて誓ったのでしょう?それ以上の信用はないと思いますが」
 ルヴァイドの顔を見上げ、は微笑む。その微笑みは不思議なほど優しい・・・あの惨劇を潜り抜けた者が敵方に向けるには過ぎるほどの優しい笑みで。
「・・・不思議な娘だな、お前は」
「そうですか?」
「不思議というよりも変わっている、の方かもしれぬが」
「・・・・・それ、褒めているのですか、貶しているのですか?」
「どちらでもない。ただの疑問だ」
「・・・そうですか」
 極々、真面目な顔で言われればも返事の仕様がなく、肩を落としてため息をついた。
 そして、そんなをルヴァイドはただじっと見つめていたのだった。





 ズキズキ、と肩から全身に痛みが響く。その痛みによっての意識は覚醒した。・・・・あまり、嬉しくない起床方法である。
「あ・・・う・・・」
 取り合えず周囲の状況を把握しようと霞む目を瞬かせ、視界をクリアにしたは数センチ先に悲哀の色を浮かべた綺麗なルビーの瞳とバッチリ視線が合った。合った瞬間、メデューサに睨まれたが如くに固まり、ルビーの瞳と見つめあうこと十数秒。
「・・・目が、覚めたようだな」
「・・・・・ええ、バッチリと」

 (目が覚めた直後にこれだけの至近距離で他人様の瞳を見れば、思いっきり覚醒します)

 微妙に疲れたが肩を落とし、ため息をついている姿を見ながら、青年は淡々との状況を説明する。
「肩の傷は一応、止血をして手当てをしている。悪いが、これ以上の事はできない」
 青年の説明に銃弾を受けた肩を見れば確かに、ガーゼを当てて包帯で固定されている。ガーゼに血が滲んではいるものの、出血自体は止まっているようだ。
 手当てはするが召喚術で傷を癒さないということは、脱走を警戒しての事だろう。傷が元で人質が使えなくなるのも困るが、下手に傷を癒して脱走されるのも困るといったところか。
「これだけでも十分です。それよりも・・・私と一緒に捕らえたあの子は、どこにいるのですか?」
 ふと周囲を見回し、このテントの中には青年と自分しかいないことに気づいたは真っ直ぐに青年の瞳を見つめ、親友の所在を尋ねる。
「お前と一緒にいた少女ならば、僕の上司・・・ルヴァイド様のテントにいる。お前の意識が戻ったら連れて来いと言われているが・・・歩けるのか?」
「え?え・・・と、たぶん、歩けると思います」
 しどろもどろに呟く少女を青年は眉を顰め、じっと見詰める。虚偽は許さないというような、強い視線で。
「では、今から歩いて行くか?」
 青年の背後に『歩けるものなら歩いてみろ』という文字がでかでかと出ている雰囲気にの顔が僅かに引き攣った。
「え・・・と・・・」
 口篭るを見た青年が軽くため息をつく。
「満身創痍とまではいかないが、それでもかなりの怪我が全身にあるんだ。無理をするんじゃない」
「歩けないほどではないと思うのですが・・・」
 それでも小さく呟くを『まだ言うのか』と青年はじろりと睨んだ。
「怪我の痛みでまともに歩けそうもない人間が強がりを言うんじゃない」
 ボソリと呟いた後、手を差し伸べた青年はその細身の体からは予想できない力での体を横抱きに抱き上げた。・・・所謂、『お姫様抱っこ』である。
「え?え?え?」
 目を丸くし、目覚めた時と同じほどの至近距離にある綺麗な顔と自分の体に回されている手を交互に見やり、事態を理解したの顔が赤く染まった。
「そのまま、大人しくしていろ」
「あうぅ・・・」
 耳元で響く青年の声にますます赤くなりながら首を竦める。体を小さく縮め、顔を伏せる。サラリ、と漆黒の髪がの顔を隠した。
 そんなを見つめ、何故か満足そうに笑ったイオスはを抱きかかえたまま、呼ばれていたルヴァイドのテントへと向かったのだった。





「ルヴァイド様。イオスです。例の少女が目を覚ましました」
「連れて来たのか」
「はい」
「入れ」
「失礼します」
 入り口に垂れ下がっている布を上げ、テントの中に入って来た青年と親友の姿を見たの目が一瞬、丸くなる。
「ね、姉様・・・?」
「ふえぇ〜〜〜、は、恥ずかしかったよぉ〜〜〜」
 『お姫様抱っこ』で運ばれてきたの隣に下ろされると、半分涙目になっていたの肩に顔を埋めてきた。
「他人様を横抱きにした事はあっても、されるのは初めてだよ・・・」
「・・・姉様、論点がズレている気がするのは私だけかしら?」
 思わず突っ込みを入れるである。
「お嬢も一度、されてみればいいわよ。どれだけ恥ずかしいか、身に染みて分かるから」

 しかも、あんな美形にされてごらんなさい、本っ当に恥ずかしいわよ。

「・・・うん、まぁ、姉様がすごく恥ずかしかったということだけは、理解したから・・・」

 取り合えず、冷静になってくれると嬉しいのだけど。

「お前達に聞きたい事がある。言っておくが、拒否は受け付けん」
 二人の遣り取りに一瞬、呆気にとられたらしいルヴァイドだったがすぐさま気を取り直し、並んで座っている二人に重厚感漂う声を掛ける。
 途端に緊迫感がテントの中に立ち込め、ルヴァイドに向ける二人の瞳も先程までのジャレ合いとは違った、隙の無い光を宿していた。
「お前達は何者だ」
「あの時、名乗った筈ですが」
「あれは通称・・・お前達の二つ名だろう。それに、俺が聞いているのはそんなことではない。分かっているだろう、お前達ならば」
 しばらく、無言の攻防が続き・・・ふいに、諦めたようにがため息をついた。
「お嬢」
「うん、私達の身柄が捕獲されている限り、仕方の無い事」
「私の体もこんなのだものね」
「あまり、言いたくはないのだけれど」
「お嬢の言う通り、仕方の無い事。・・・説明は任せるから」
「分かったわ、姉様」
 が負傷した肩を見ながら呟くとも軽く頷き、視線を敵将達へと向ける。
「私は。彼女はと言います」
 怯えるでもなく、憎悪で睨むでもない、どこまでも真っ直ぐな視線では続ける。
「私達はこの世界の人間ではありません。・・・それは、すでに気付いておられますね?」
「ああ」
 初めて出会った時から変わらない、丁寧な口調にルヴァイドは静かに頷いた。
「この世界の理からすれば、私達の存在は『召喚獣』に分別していいでしょう。ただし、リィンバウムを含む4つの世界とは別の世界から喚ばれた存在」
「・・・どういうことだ?」
 眉を寄せ、難しい顔になるイオスには苦笑を浮かべ、なんでもない事のように告げる。
「『名も無き世界』・・・この言葉に聞き覚えはありませんか?」
「確カ、無属性ノさもないと石ニ通ジテイル世界ト言ワレテイルナ・・・」
「ゼルフィルドの言う通りだな。お前達はそこから召喚されたというわけか」
「それも、貴方達が襲撃をかけた前日に、ですね」
「!?」
 何気なく告げた言葉にルヴァイドとイオスの顔が僅かに歪んだ。そう、悲痛とも取れる悲哀の顔に。それに気付いた二人の視線が交わされる。お互いの瞳に浮かぶ意思を確認する。
「・・・私達は確かに公園でおしゃべりをしていた筈なのに、気が付けば見た事もない森の中にいました。途方に暮れていた私達に手を差し伸べ、この世界の事を簡単でも教えてくれて、優しくしてくれたのが貴方達が狙う『聖女』とその周りの人達」
 真っ直ぐ相手を見つめる瞳は襲撃の夜に見た時と同じ、歪む事のない強い意思が宿った・・・とても美しいものだった。
「たとえ、共に過ごした時間が短くとも、その優しさに助けられた私達は彼女達を助けたいと願い、私達の力を振るいました。・・・これで、質問に答えた事になりますか?」
「・・・そう、だな。だが・・・お前達の側には召喚主らしい者がいない。『はぐれ』なのか?」
 これからも度々聞くであろう、この単語にの顔が嫌悪に歪む。
「分かってはいても、すっごく嫌な気分になりますね、その呼び名」
「ある意味、優越感を感じるための呼称とも言えますね。このリィンバウムに生を受けた者だけが人として扱われ、召喚された者はどんな者であろうと獣扱い」
「根本的な生物差別でしょう。そうまでして自分達が優位に立たなければ、安心できない愚者の心理とも言いますが」
 辛辣だがリィンバウムとは根本的に違う世界から来た二人だからこそ、言える言葉。だが、彼女達が投じた一石は確かに目の前の二人の心を揺らした。
「・・・済まない。確かに不用意な言葉だった」
「仕方がないですよね。他に言いようがないですから」
 ため息をつき、次にはこの言葉を言うかどうか、迷う。だが、結局は話すことにする。
「先程まで、『はぐれ』だと思っていたのですが・・・ちゃんと召喚主はいたようです。・・・夢の中で、接触されましたので」
「守って欲しい。・・・そう、頼まれました」
 の呟くような声に、は隣に座る親友の瞳を覗き込んだ。の瞳を見つめ、お互いに同じ夢を見ていた事を理解する。
「お前達の召喚主は一体・・・?」
「申し訳ありませんが、たとえ捕虜という立場であってもこれだけは言えません」
「ただ、言える事は私達の召喚主はとても優しい人だということだけ」
「・・・まぁ、いい。確かにお前達の主の事を聞いても今の我々には関係のない事だ」
 無闇に聞いてこない事に内心、胸を撫で下ろしながらはふわりと微笑んだ。
「ありがとうございます」
「何故、礼を言う?」
「無理に聞かずにいてくれるからです」
 穏やかに微笑むにルヴァイドの瞳が僅かに逸らされた。
「何故だ。・・・何故、お前達はそれほどまでに穏やかでいられる?」
 が目覚め、会話を交わした時からの疑問が膨れ上がる。
「お前達もその目で見た筈だ。お前達を保護した村を滅ぼした俺達の姿を」
 普通、そんな場面を見れば敵意を持つはずだ。怒声と共に切りかかってきた赤毛の青年のように。
 そんな意味合いも篭ったルヴァイドの台詞に、背後に立っていたイオスの体がビクリ、と震える。何かに耐えるように顔を伏せ、拳を握り締める。
「憎くはないのか?恨まないのか・・・?」

(何故、そのような笑顔を俺達に見せる?)

「それを聞いて、どうしようというのです?」
 どこか、厳しい声音にルヴァイドとイオスの視線が二人へと向けられた。
「・・・・・どうもしない。恨まれるだけの、憎まれるだけの事をしたのは確かだ。憎むのなら、恨むのなら、そうすればいい・・・・・」
「まるで、そうされることで裁かれ、罪を軽くしたいと願っているようですね」
 静かな声音で言葉が紡がれた瞬間、の傷ついていない方の拳が簡易ベッドにめり込んだ。
「・・・甘えないで」
 ピシャリ、と言い切る言葉の強さ。けれども、何故だか暖かさをも感じる声音。親が子供を叱るような、奥底に愛情があるからこその暖かな厳しさ。
「貴方達は軍人。上からの命令は絶対。それぐらい、私達にも分かります」
「命令を受け、それを実行した時点で貴方達は罪を背負う覚悟も決めていたはず」
「他の人達は貴方達を憎むでしょう。恨みもするでしょう・・・それをも受け止める覚悟をしていたのではないのですか?」
「なのに、たかが予想とは違う私達の態度でうろたえている。その程度だったのですか、貴方達の覚悟は」
 真っ直ぐに見据えてくる漆黒の瞳と栗色の瞳。その真っ直ぐな強さと潔さがひどく・・・眩しかった。
「私達の態度が一般と違うのは、ただ理解しているだけのこと」
「貴方達が軍人であり、国からの命令に反する行動は取れないことを理解しているだけ」
「ただ、それだけのことです」
 彼女達の言葉に救われた気がした。彼女達の言葉は心の中に巣くっていた、溶けない氷を溶かしてしまうような暖かさをもたらした。
 理解してくれている・・・それは血に塗れた自分達の心の救いだった。
 そして、願ってしまう。
 優しいその微笑みを・・・側でずっと見ていたいと願ってしまう。
 自分達の事を理解し、厳しさの中の暖かさを見せた彼女を欲しいと思ってしまう。
 それが、どれだけ罪深いか分かっていながら、それでも・・・欲しい。
「貴方達はこれからも、血塗られた道を歩くのでしょう?」
「それは、軍人であるからという以上に、己の意思で覚悟を決めたのでしょう?」
「私達は貴方達を恨みも憎みもしません」
「ただ、理解をします」
 微笑む彼女達がどうしようもなく、欲しかった。





 ルヴァイド達が訓練だとかでテントを出た後。
「・・・・・大丈夫、かしら?」
「見張りの兵士はいるけど、声を押えれば聞こえない距離だから」
 スープを口に運びながらが呟けば、パンを千切りながらは小さく頷く。
「で、どうする?」
「逃げることがベストでしょう」
 出来るだけ押えた声に食器が触れ合う音が重なり、余程の事が無い限り二人の会話を聞き取る事は出来ないだろう。
「確かに人質役は避けたい」
「でも、姉様の傷は?」
 心配そうに聞いてくるにくすり、とは笑みを浮かべる。
「大丈夫。彼に抱えられたけど、本当はちゃんと歩ける」
「油断をさせたってわけね」
「彼らには悪いと思ったけど・・・このままでいるわけにはいかないから」
「実際の状態はどうなの?」
 スプーンを皿に戻し、真剣な瞳で見つめてくる親友にも出来るだけ正確に自分の状態を伝える。
「出血は止まっているけど、召喚術で治したわけじゃないから痛みはある。この痛みも鎮痛剤を飲めばなんとかなると思うし、闘うのではなく逃げるだけならどうにかなるはず」
「鎮痛剤・・・?そんなもの・・・」
「あるわよ。私の荷物の中に」
「・・・そういえば姉様って色々な種類の薬を常備していたわね」
「ええ、任せなさいな」
「これで胸を張られても・・・」
 つい、眉間に指を当て、嘆息する親友にはにっこりと笑顔を向けた。
「じゃ、私の怪我の事はいいとして。いつ、逃げるかってことだけど」
「どう考えても昼間しか逃げ出す隙がないわよ」
 考え込む間もなくきっばりと言い切るも頷き、同意する。
「夜は私達、それぞれのテントに引き取られているし、彼らだってれっきとした軍人だから私達が動けばすぐに気付くものね」
「ただ、昼間は他の一般兵の方々がいるのだけれど・・・」
「逃げるだけだから、撒けると思う。問題はゼルフィルドの探査機能」
「確かに、アレでサーチされると困るわ。引っ掛からない距離まで逃げられるかしら」
「日光浴の時を狙えば時間稼ぎができるんじゃないかな」
 の台詞にもそういえば、と思い出した。
 ロレイラルの機械兵士は日を浴びる事によって体を動かすエネルギーを充電する。こちら風に言えば、ソーラーシステムだ。その隙をつくことができれば逃げやすくなるだろう。
「軍の総数はざっと見て100から150。とはいえ、私達2人を追う為だけに全員が出張るとは思えない」
 少しの間だけとはいえ、テントの外を見る事が出来たの言葉にパンを食べながらは頷く。
「出るとしても多くて50ぐらいでしょうね。あと、周囲の地形はどうなっているの?」
「森の中に出来た空間に駐屯地を構えているね。レルムの村を襲撃する事を考えれば、村よりも奥に位置しているんじゃないかな」
「森の中、ね。なら、森に逃げ込めば私達に利があるわ。・・・ゼルフィルドさえ、いなければ」
「まぁ、それだけが不安要素なんだけど」
 スープを飲み干し、手にしていたスプーンを皿に戻しながらは眉を顰めた。そんなを見ながらふと、は大事な事を思い出す。
「あ、そうだわ。取り上げられた得物はあそこにあるから」
「・・・・・はい?」
 指し示された場所を見てみればルヴァイドが執務するらしい机の横に刀と三節棍が並んで立て掛けられていた。その無造作さに思わず眉間に指を当ててしまう。
「いいのか?こんなにあっさり得物の場所をばらしていて」
「姉様の怪我の事があったから・・・油断したのだと思うけれど」
「それがあったにしても、油断しすぎ」
 が肩に負った怪我は1日や2日で治るような類ではない。だからこその油断だろうが、迂闊過ぎとも言える。
「取り合えず、その油断こそが付け入る隙になっているし、大いに利用させてもらうとしようか。あとは、タイミングかな?」
「アメルへの追っ手は完全に散らしたと考えていいでしょうね」
「あの時、ゼルフィルドへ出した指示の内容からもそうだと思う」
「とはいえ、彼らもプロだし・・・見つかるのも時間の問題・・・」
「出来れば、それまでに脱出したいね」
 ふむ、と腕組みをして考え込む。パンを食べ終えたもコーヒーを飲みながら思考に沈んだ。
 テントの中に静寂が訪れる。
「・・・・・静かね・・・・・」
 外で訓練をしているだろう、彼らの声も訓練の音も聞こえない。
 自分達の世界でももちろん、リィンバウムに来てからもこれほど静かだと感じたことはなかった。
「分かってはいたけれど・・・誰一人として助ける事が出来なかったのは・・・キツい、な」
 足を引きずりながらも治すことができるという希望を持っていた青年。外の世界はどんな風なのかと好奇心に満ちていた盲目の女の子。心臓がよくなればまた、仕事が出来ると嬉しそうに話していた仕事人の小父さん。
 彼らの未来も、炎の中に消え去ってしまった。
「覚悟をしていたのにね・・・私達も、彼らのことを言えないわ」
 微かに自嘲気味に笑うも同様の笑みを浮かべる。確かに、偉そうに覚悟云々を言った自分達が言うべき弱音ではなかった。
「ねぇ、お嬢。あの歌を歌おうか。彼らが安らかに眠れるように」
 の言う『あの歌』がどれを指しているのか理解したも静かに頷く。
「そうね。祈りましょう、彼らの魂が安らかであることを」
 視線を交わし、二人は口を開いた。

 おやすみなさい 目覚めるまで
 おやすみなさい この腕の中で
 傷ついた 体を 心を 魂を
 癒しましょう この腕の中で

 おやすみなさい 次の生まで
 おやすみなさい この胸の中で
 愛しい 貴方の 静かな 眠りを
 守りましょう 私の愛で

 儚く愛しい 貴方達を
 深く傷ついた その魂を
 癒えるまで 眠りを 愛を 安らぎを
 与えましょう 次なる目覚めまで

 守りましょう 次なる生まで

 涼やかな声と可憐な声がお互いに影響し合い、澄んだ響きを演出する。
「お前達の世界の歌なのか?」
 バサリ、と入り口の布がかき分けられる音がしてこのテントの主が戻ってきた。その後ろから槍を抱えた青年と漆黒の機械兵士が続く。
「私達の世界の歌というか、友人が作った歌ですけど」
「もしかして、かなり遠くまで響いていました?」
 歌うのだから、テントの外まで響くのは当たり前だとしても、彼らが訓練している場所まで響いていたとすると結構、恥ずかしい。
「いや、たまたま僕達が戻って来た時に聞こえただけだ」
 首を横に振る青年の言葉を肯定するように漆黒の機械兵士も生真面目に答える。
「二人ノ声ハ、ソレホド大キクハナカッタ。セイゼイ、てんとヨリ2.86めーとるマデシカ響イテイナカッタ」

(ゼルフィルド・・・細か過ぎ)

 機械兵士故なのか、あまりにも細かい数字にもつい、心中で突っ込んでしまう。
「許されざる我らだが・・・不思議と癒される歌だった」
「そう、でしょうね・・・そのように作った歌ですから」
 寂しそうに呟くに何かを感じたのか、ルヴァイドもそれ以上は何も言わず、自分の後ろにいた青年へと振り返った。
「イオス、を連れ帰ってガーゼを交換してやれ」
「はい」
 上司の命に頷いた青年はに近づくとこのテントに連れて来た時と同様に、再び横抱きに抱き上げる。流石にもうじたばたすることを諦めたは大人しくしているが、それでも感じる恥ずかしさはどうしようもない。
「頑張ってね、姉様」
 親友の激励もあまり、助けにはなっていなかったのだった。





「先程の歌だが」
 机に積まれた書類を処理しながら話し出したルヴァイドにの視線が向けられる。
「あの歌は・・・誰かの為に歌ったものなのか?」
 内容から感づいたのだろう。どことなく哀しげな瞳には穏やかな笑みを浮かべた。
「あの歌は亡くなった人達の魂を慰めるためのものです。私達の世界ではレクイエム・・・鎮魂歌と呼ばれていますが」
「鎮魂歌、か」
 全ての書類にサインを記し、ペンを置いたルヴァイドが思わしげに呟く。
「彼らの命を奪った俺が言うべきではないが・・・安らぐと、いい・・・」
 その哀しげな声と瞳に彼の悲哀をは感じ取った。
 ふっとため息をついたは腰掛けていたベッドに潜り込むと端に寄り、毛布を持ち上げるとルヴァイドを呼ぶ。
「疲れているようですね。もう、休まれたらどうですか?」
「・・・その毛布の意味は、なんだ」
「意味も何も、一緒に寝ましょうということですけど」
 まさかと思いながら問うてみればあっさりと返され、思わず肩を落とすルヴァイド。
「年頃の女性が取る行動ではないな」
「私みたいな子供に手を出すほど、女に飢えているのですか?」
 取り合えず嗜めると意外な反撃を食らい、ぐうの音も出ない。
 自分より遥かに年下であろう少女に手を(出しはしないが)出したとすれば、下手をするとロリコンのレッテルを貼られかねず、手を出さないのであれば寝床を一緒にしてもかまわないだろうと続けられ、完全に逃げ道を塞がれた。
「仕方がない、か」
 足掻きも出来ない状況に抵抗を諦め、ルヴァイドはランプの火を消すとが開けた空間へと体を滑り込ませた。
 いくらが華奢な体格だとしても、ベッドはルヴァイド一人の為に作られた物で、そこに無理矢理二人が寝ようとすれば必然と密着する事になる。
 だが、はそんなことなど気にする様子もなく、密着したが故に極近くにあるルヴァイドの顔を見上げた。
「自分は癒される資格はないと考えていませんか?」
 己の考えを見透かされ、ルヴァイドの紅茶色の瞳が僅かに見開かれる。
 返答はなくとも、その反応で答えを察したの瞳が穏やかに細められた。
「罪を背負い、血塗られた道を歩くことを覚悟したとはいえ、その心を癒すことが出来なければ行く先は崩壊でしょう」
 無骨な武器を操るとは思えない細い手が差し伸べられ、男の髪をそっと撫でる。
「人としての心を持ち続けるのなら、貴方は癒されるべきです」
 柔らかく暖かな声がルヴァイドの心を動かした。無意識に目の前の華奢な体を抱き締め、細い首筋に顔を埋める。
。頼みが・・・ある」
「なんでしょう?」
 首筋に顔を埋めているからか、くぐもって響く声に狼狽することなくは落ち着いて聞き返す。
「俺達が帰って来た時に歌っていた歌を歌ってくれないか?」
「いいですよ」
 躊躇うことなく承諾したはルヴァイドの耳元で囁くように小さな声で歌いだした。優しい声がルヴァイドの体を包み込み、ルヴァイドが安らかな寝息をたてるまでずっと繰り返し続けられる。
 誇り高いその魂を闇に染めることのないようにと祈りながらはずっと歌っていたのだった。





「傷の消毒をするぞ」
 イオスのテントへ連れ帰られたはベッドに座らされ、銃弾を受けた肩を晒しだしていた。
「召喚術を使えば跡は残らないだろうが・・・」
「別に気にしなくてもいいですよ。今更、傷跡の一つや二つ、増えても同じ事ですから」
 事も無げに言い切ったにイオスがどこか、複雑な視線を向けてくる。その視線に気付いたが微かに苦笑を浮かべた。
「この傷の治療をした時に、見たのでしょう?」
「・・・・・ああ、済まない」
「別に謝る必要はありませんよ?」
 血に染まったシャツが取り替えられ、清潔なガーゼと包帯で手当てをされていれば当然気付く事実。
「・・・少し、染みるぞ」
 本当は色々と聞きたいであろう彼が、何も聞かずに傷の治療を始めた事にはそっと感謝する。今はまだ、話そうという気にはなれなかったから・・・。
 消毒液を浸した綿球を押し当てられ、傷口から全身に広がった染みる痛みには顔を背け、自分の指を噛んで声を押し殺す。
「おい、指を外せ。傷がつくだろう」
 処置を終え、それに気付いたイオスが慌てての口から指を外し、傷が出来ていないか確認した。幸い、噛んだ跡があるだけで傷は出来ていないようだ。
「まったく・・・これ以上、傷を増やしてどうするつもりだ?」
「ですから、今更傷が増えても・・・」
「だが、必要以上に増やすことはないだろう」
 眉を顰め、ガーゼ等を仕舞うイオスには柔らかな微笑みを向けた。
「ありがとうございます。優しいのですね」
「優しい?僕が、か?」
「はい」
 初めて聞く自分への評価にイオスの瞳が僅かに見開かれる。『凶槍』とまで言われた自分が今更、そんな風に言われるとは思ってもみなかった。
 戸惑うイオスに気付いたがくすり、と笑みを零す。
「『優しい』と言われる事が、そんなに不思議ですか?」
「そうだな。も見ただろう、僕があの村でした事を」
 普通、あの惨劇を目にして、それを行った者が分かっていて、それでいてその行った者に対して『優しい』などと言うはずがない。
「優しくない人がこうして、自ら捕虜の手当てをしますか?」
「・・・それは、ルヴァイド様がそうしろと言ったからで・・・」
「私の体を見て、いろいろと聞きたい事があるでしょうに、私の気持ちを汲み取って何も聞かずにいてくれる方が優しくないというのですか?」
「・・・・・」
「声を我慢しようとして噛んだ指の怪我を気にしますか?不必要に傷を増やす事はないと言いますか?自然に気遣える人であるから、私は貴方が優しい人だと思うのです」
 ただ、自分を見ているイオスにはそっと片手を差し出し、サラサラとした金糸の髪をゆっくりと梳く。
「楽しんで人を傷つけたわけではないのでしょう?上からの命令であの襲撃を行っただけで。その命令に従うと自分の意思で決めたとしても、心が苦しくないわけじゃないのでしょう?」
 優しく響く声と穏やかな漆黒の瞳がイオスの心を温かく包み込む。
「・・・・・でなければ、そんなに哀しい瞳をする理由がありません」
「!?」
 思わず息を飲み、眼下にある漆黒の瞳を見下ろした。深い色をした瞳はまるで全てを包み込むような夜の闇の色で。
「今だけでもいいですから・・・辛い事を吐き出した方がいいですよ」
 金糸の髪を梳いていた手に少し力を込め、イオスの頭を抱き締めた。抵抗する素振りも見せず、の胸に抱かれたイオスの耳元で静かに囁く。
「今だけ、吐き出して。でなければ、心が壊れてしまうから・・・」
「・・・・・っ」
 イオスの肩が震え、しがみつくように両手がの腰に回された。小さく震えるイオスの背をゆっくりと撫でながらは小さな声で歌を歌う。
 声を殺して泣くイオスの姿に胸を痛め、少しでもその心が癒されるようにと祈りながら、彼らがテントに帰ってくる直前に歌っていた歌を歌う。
 イオスを優しく包み込む小さな歌声は夜が更けるまでテントの中に響いていたのだった。


     





ヒロイン達、落としました。黒騎士さんと金髪美人さんを(違)取り敢えず、一つ布団で寝かせたかったので満足(笑)